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坂の上の雲 第8回

坂の上の雲 第8回

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○あらすじ

明治36年初夏。秋山好古は45歳になっていた。彼は日本の騎馬隊がコサック騎兵に勝つために、機関銃を導入していた。

その彼を、ロシアが自国軍の演習をする際に招待した。その狙いは、自軍の強さを見せ付けて、日本軍を脅すためだった。

秋山真之は再び稲生季子と出会う。彼女は真之に好意を寄せていたが、自分は戦場に行って、二度と帰って来ないかもしれないと真之は言う。

朝鮮半島北部はロシアの支配下に置かれ、日本は危機にさらされていた。

日本政府はロシアと満州や朝鮮半島を巡って交渉するが、日本の要求は退けられてしまう。

東京・芝で新婚生活を始めた真之夫妻の元を、正岡律が訪れる。亡くなった子規の形見分けに来たのだ。

舞鶴鎮守府では、海軍大臣・山本権兵衛(石坂浩二)がロシアとの戦いに備えて、人事を決めていた。

彼が選んだ連合艦隊司令長官は東郷平八郎(渡哲也)だった。

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○感想

いよいよ日露の間は溝が深まり、戦争の可能性が高くなってしまいました。一方で戦場で死ぬ覚悟の真之も、結婚をします。

季子たち華族の才媛が自転車でレースをするのは面白かったですね。季子に「もう一度会わなければ一生後悔する気がして」と言われる真之、男なら一度は言われてみたいセリフですね(笑)。

しかし、真之は結婚をする気はありません。なぜなら、自分が戦死すれば、家族につらい思いをさせるからです。

それでも、一人残っても看護婦となり、子供たちと自立して生きる、と答える季子。華族のお嬢様なのに偉いですね。

彼女の自転車に危なっかしく乗る真之が面白かったです。ぎくしゃくしたハンドルさばき、そして下り坂に行ってしまうところは本当に笑いました。

それを見て、彼も陸に上がればただの河童と高橋是清が言うのもよかったです。

そして真之と季子は結婚。それでも、結婚は軍人にとってはあまりよくないという彼の考えは変わらなかったそうです。

そういえば先日、フジテレビの「笑っていいとも」に渡部陽一さんたち戦場カメラマンが登場していました。その中のお一人が、自分は独身だとおっしゃっていました。

危険に身を晒す仕事であれば、結婚はすべきでない、という考えはよくわかります。


○ロシア

好古はロシアの意図を知りつつも、ニコリスク演習所を視察します。彼はコサック騎兵が想像以上に強いことを知り、陸軍の3分の1は戦争になれば死ななければならないと思ったのです。すごいことですね。

戦争を避けるべくロシアと交渉する日本。日本は、満州はロシアの自由にしてよいが、朝鮮には手を出さないという案を提示します。しかし、この案は却下されるどころか、ロシアの要求はエスカレートします。

律が持ってきたのは、子規の植物のスケッチブックや下駄。下駄は、彼が病気が治ったら履きたいといって買ったものです。とても悲しいですね。

朝鮮半島の北半分は欲しいといってきたロシア。山本権兵衛は、ロシアと戦えば、兵士は半分は死に、船も半分は沈められると覚悟します。

一方、山本の親友であった日高壮之丞(中尾彬)中将は、自分が司令長官に任命されないことを憤りますが、山本は日高に、中央の命令に従ってくれる人物でないといけないことを説きます。

理由を聞いて納得するシーンの中尾さんの演技はとてもよかったです。石坂さんも重責を担う大臣役がぴったりです。


○真之が参謀に

そして、東郷平八郎は作戦参謀に秋山真之を任命します。真之は、習志野にある兄の家に、妻を預けます。

そこで、好古が弟に書いた手紙には、「一家が全滅しても悔いはない」という悲壮な覚悟がしたためてありました。あまりにも厳しい時代だったのですね。

12月11日に、ロシアから来た回答は、さらに強硬なものでした。開戦を覚悟した日本。海軍では乗員と家族の別れの会が開かれました。

手を握り合った真之と季子ですが、いったいどんな気持ちだったのでしょうか。

児玉源太郎は、ロシアの駐在武官、明石元二郎にロシア内で工作活動を行い、革命を起こさせるようにしました。

このことについて私はまったく知らなかったのでウィキペディアで調べたところ、一部否定的な見解もあるものの、大きな役割を果たしたのは事実だそうです。

明石元二郎は、官僚政治の腐敗などのロシア国内に渦巻く不満、また近隣諸国のロシアに対する不満をうまく利用して、ロシアの厭戦ムードを高めたようです。

日本では御前会議が行われ、明治天皇の聖断を仰ぐことになりました。そこに伊藤博文、松方正義などが出席していたのですが、その面々もそれを演じている俳優さんも顔ぶれがすごかったです。

もともと朝廷には非軍事的な伝統があり、また伊藤博文の意見が影響していたのか、天皇は開戦の決断はしません。

一方、ニコライ2世も、偉大すぎた父親の後を次ぐ重圧を妻にこぼすなど、迷います。この場面も印象的でした。

明治37年2月4日、ロシアの旅順艦隊が出航したことを知った日本では、明治天皇が開戦の聖断を下します。一方で伊藤は、金子堅太郎にアメリカに行き、アメリカ世論を日本に有利に導き、また時機を見てルーズベルト大統領に和平を仲介してもらうという難しい任務を与えます。

これを聞くだけで、そんな無茶な、と思ってしまうような難題ですが、今後どうなるのでしょうか。非戦論者だった伊藤も、長州藩士としてかつて戦ったように、自ら銃を取り、兵卒として死ぬ覚悟だ、と金子に告げます。

このあたりの覚悟の強さは、やはり現代人とは比べものにならないと思うのは私だけでしょうか。

参謀長の島村速雄(舘ひろし)らは、ロシア艦隊の全滅を命ぜられ、まず黄海へと向かいます。

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